Interview
波多野睦美

photo:HAL KUZUYA

波多野睦美(メゾソプラノ)
CDとコンサート「ねむれない夜_高橋悠治ソングブック」について

波多野睦美さんの歌のあの開かれた感覚はどこから来るのだろうか。日本語でも、直接には意味がわからない言語でも、詩を読み解いて聞かせてもらっているような心地になる。歌手はいろんな歌詞を歌うけれど、歌詞と歌手との距離感は? あわせて2020年にリリースしたCD「ねむれない夜_高橋悠治ソングブック」のことを聞いた。

2021.4.29 聞き手:角田圭子(ダウランド アンド カンパニイ)

 

(1)若いときはわからない詩は歌えないと思っていた

■ 詩人はなんだか怖かった

・・・・・CD「ねむれない夜」は、1977年に中山千夏さんのために書かれた組曲「ぼくは12歳」と、2008年に高橋悠治さんが波多野さんと出会って以降に書かれた「さらば佐原村」「バッハと歩哨」「旅だちながら」が収録されています
「ぼくは12歳」は、主人公の年代も歌の音域も他の3曲と違いますが、歌うにあたって何か自分の中で変えたことなどあるのでしょうか

波多野「ぼくは12歳」を歌うにあたって、子供のように歌おうとか、昔に返って歌おうとかは考えませんでした。12歳の少年が書いた詩とわかった上で、ひたすら書かれた言葉をそのまま歌うことを心がけました。

・・・・・歌う時は、誰の立場で歌っていますか 主人公? 語り手として?

波多野:誰に向けて、ということでいうと、自分に向けて歌うことはしないよう気をつけています。以前はどの曲も「その詩の本人になって歌う」ことを心がけていました。でも今は曲ごと、詩ごとに違います。それぞれの歌詞の中に存在する相手に宛てて、あるいは詩に出てくる対象に向けて歌っています。「ぼくは12歳」では、太陽、リンゴ、夕暮れ、煙、小窓などが描かれていますが、一つ一つの言葉にも行間にも、あの時代特有の匂いがあります。私は詩人と同世代なので、特にそう感じられるのかもしれません。

・・・・・波多野さんの歌を聞くと、いつも詩をとても大切にしていると感じます。詩を読んで聞かせてもらっているような心持ち。若い時からよく詩集を読むなど、詩に接していたのでしょうか

波多野:いや、それがぜんぜん。やなせたかしさんの詩集はイラストが好きで持っていたかな、くらいで。詩人というものがなんだか近寄り難くて、怖いな、という感じ。教科書に載っていた萩原朔太郎などは最たるもので、気になって仕方がない、でも近寄りたくない。短歌や漢詩は好きだったんですが、現代の言葉で生に意味が入ってくるものはなんだか怖かったんです。だから詩集を自分から手にとって読むようなことはほとんどありませんでした。

・・・・・意外です

波多野:ほんとに、歌になったものにしか触れていないんです。音楽から入って、そこについている詩を読む、そこから、同じ詩人の他の作品を読み、また音楽になった詩に戻る。そうすると作曲家と詩人の会話が聞こえてくる気がします。

■ 自分を消す

・・・・・歌詞の中の感情と自分との距離感についてはどのように考えていますか

波多野:若いときは、わからない詩は歌えないと思っていました。でも、いろいろな指揮者や作曲者、演出家の方々から教えられたことは、「自分」が歌うのではない、ということです。
「“あなた”が見えてはだめ。歌い手の個人的な感情を入れないで」と、繰り返し、いろんな言い方で指摘されました。つまり歌い手のエゴが見えるとだめなんですね。ひとりよがりになってはいけない。これって、今、楽しみでやっている俳句でも、宗匠や連衆の皆さんから同じようにつっこまれてます(笑)結局どのジャンルの表現でもNGなのか!趣味なのに!と愕然。
特にバロックオペラの場合、現代の日本では経験しようもない劇的な内容を歌うことがほとんどで、だからこそ歌詞を読んで、その詩の人物の様に音楽の中で動き、言葉を放つしかないわけです。若いときは、根拠もなく自分のやっていること考えることが正しい!と思う時期があります。「自分の音楽はこうだ/歌はこうだ」と必死。そんな時期も必要で、その上で「消していく」ためには、繰り返し、いろんな人から鍛えられることが必要だったのかもしれません。ああ、やっぱりここでも言われた、ここでも言われた、というふうに。

・・・・・そのためにはどういう訓練をするのでしょう

波多野:自分を消すには、楽器を整える。今は、これが全てだと感じています。自分の楽器を音楽に対して開放するよう努めること。自分を消す努力をしても、歌い手は自分の体で演奏するわけですから、いくら消そうとしても結局は消すことなんてできないですよね。「自分がなくなる!」と怖がる生徒さんには、「大丈夫。完全に消すなんて、そんなすごいことなかなかできないから!」と励ましています。

 

(2)対等になって書かれているから対等に歌える

■「ねむれない夜」コンサートで演奏する曲について

・・・・・「ねむれない夜」コンサートで演奏する歌について教えてください。
すべて高橋悠治さんの作曲ですね。まず「ぼくは12歳」(詩:岡真史/1977)について

波多野:この歌の詩人、岡真史さんは、まわりより精神的に早く育った子だったと思います。この詩の中には友達に宛てて歌うとか、そういうことがないんです、心の風景というか、哲学的というか。シューベルトの「冬の旅」を歌っている感覚ととても近い。そして「冬の旅」の5曲目「リンデンバウム」で青年が帽子を吹き飛ばされて、もう後戻りはしない、と決心するように、この曲でも5曲目の「へや/ちっこい家」で彼の心持ちが大きく変わるのを感じます。

・・・・・「戯れ言の自由」(詩:平田俊子/2018)について

波多野:東日本大震災のあとに発表された作品で、初演は中嶋香さんがピアノ弾き語りをされました。コンサートを聴きにいったのですが、その中でも「ゆれるな」が強烈な印象でした。帰り道、一緒に歩いていた平田俊子さんに、この曲集はいつか歌ってみたいなと話したのが実現します。弾き語りではなく、ピアノは(高橋)悠治さんに弾いてもらいますけど。

・・・・・「北園克衛の六つの詩」(詩:北園克衛/2011)について

波多野:これはソプラノの肥後幹子さんのために書かれた作品。北園克衛さんという方が、もう、ほんとにかっこいい方なんです、本人も、仕事も! 悠治さんが昔から好きな人なんだと思います。私もいろいろ調べてはまってしまい、写真集も買いました。「BLUE」という1曲を歌います。(注:北園克衛=1930〜70年代に活躍した詩人、写真家、編集者)

・・・・・波多野さんが初演するために書かれた曲「旅だちながら」(詩:森崎和江/2020)

波多野:悠治さんに森崎和江さんの詩を教えてもらい読んでみて「すごいな〜」と思ってお願いしました。悠治さんが詩を音にするイントネーションがとても好きなので、アカペラの曲を書いてくださるようにお願いし、最終曲がアカペラになっています。

・・・・・「ふりむん経文集」(詩:浅井和枝[干刈あがた]/2019)について

波多野:「風ぐるま」のコンサートで初演した曲です。サックスの栃尾克樹さんにゲストで登場してもらい、サックスのソロの曲をふくめ4曲演奏します。栃尾さんは音楽についてほんとにいろいろ分かり合える共演者で、ソウルメイトとはいいたくないけど(笑)メイトです。大切な存在ですね。
栃尾さんには、この曲と「ぼくは12歳」でも演奏してもらいます。「ぼくは12歳」は、初演が歌と5人のジャズ・ミュージシャンのために書かれ、あとでピアノ伴奏用に編曲されたものです。今回のサックス入りバージョンをどんなふうにするかのリハーサルはこれからです。

■ 高橋悠治ソングブックについて

・・・・・CD収録曲の中で、今度のコンサートでは取り上げなかった曲についても教えてください。

波多野:「さらば佐原村(詩:辻まこと/2010)」は神楽坂のシアターイワトでのコンサート「影の反オペラ」で初演しました。歌とピアノの関係がほんとうに特別に感じられる曲で、今回のCD企画ははまずこの曲とガーニーを録音しておきたいという気持ちから始まったものです。
「影の反オペラ」では、この曲とショスタコーヴィチの「マリーナ・ツヴェターエヴァの六つの詩」、そして「納戸の夢」(詩:時里二郎)を初演しました。3日間で4公演だったか。今思うとよくあんなことできたなあ、11年前は体力あったなあ。

波多野:「バッハと歩哨(詩:アイヴァ・ガーニー/2013)」は、ブリテン生誕100年記念としてイギリス近現代ばかりのプログラムのコンサートをしたとき、プログラムの中にガーニーの「ねむり」を入れたのですが、悠治さんにガーニーは詩人としての方が評価が高いということを教えてもらい、この曲を書いていただきました。アンコールで演奏したんです。(注:戦争のために音楽から長い間離れていたガーニーが、戻ったときにどんな風に感じるだろうか、という内容の詩)録音したときは、この感覚をこんなにリアルに感じるようになるとは思いませんでした。

・・・・・高橋悠治作品だけを収録するソングブックの録音については、12年前に悠治さんに提案して、いったん断られ、その理由に納得したとブログにありましたが、こうして結局、作ってしまいましたね。

波多野:粘り勝ちですね(笑)。
実は最初の録音プランでは他の作曲家の曲も入っていたんですが、録音していくうちにはずれていって、最終的に高橋悠治ソングブックという形になりました。
悠治さんはいつも誰かを悼んでいると感じます。相手が12歳の少年であろうと同じ目線になって敬意をもって対しているということが、この録音を通して、よりくっきりと感じられました。対等になって書かれているから対等に歌えるのかもしれません。

*波多野睦美(メゾソプラノ)
シェイクスピア時代のリュートソングでデビュー。
歌曲のリサイタルでの活動を続ける。
バロックの宗教作品、オラトリオのソリストとして鈴木雅明、寺神戸亮、鈴木優人、C.ホグウッド指揮による古楽オーケストラと数多く共演。
オペラではモンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」皇后オッターヴィア、パーセル「ディドとエネアス」女王ディド、ラモー「イポリートとアリシ」王妃フェードルなどを演じ、深い表現力と存在感で評価を得る。
CDでは古楽器との共演による「イタリア歌曲集」「悲しみよとどまれ」、大萩康司(ギター)との「プラテーロとわたし」、高橋悠治との「ゆめのよる」「猫の歌」、「ねむれない夜」、シューベルト「冬の旅」、栃尾克樹とのトリオによる「風ぐるま」「鳥のカタコト 島のコトカタ」など作品多数。
公式website: http://hatanomutsumi.com

*CD「ねむれない夜_高橋悠治ソングブック」(Sonnet MHS-006、2020)
◎高橋悠治(作曲・ピアノ)波多野睦美(歌)
◎収録曲:「ぼくは12歳」(詩:岡真史)
みちでバッタリ/太ようのつかい/夕ぐれ/ゴットン・ゴロン/へや〜ちっこい家/小まどから/ねむれない夜/リンゴ/あらけずりに/ぼくはうちゅう人だ/ひとり〜ぼくはしなない
「さらば佐原村」(詩:辻まこと)
「バッハと歩哨」(詩:アイヴァ・ガーニー)
「旅だちながら」(詩:森崎和江)
*発売:キングインターナショナル 3300円(税込)