interview
つのだたかし

photo:セブン・ティアーズ

つのだたかし(リュート)
CD作りが30年も続けられたのは
いろいろな人との幸運な出会いがあったから

1989年に古楽レーベルのさきがけとなるパルドンレーベルを立上げ。演奏・共演者、録音ディレクション、エンジニア、ジャケットアート、デザインと、すぐれた仲間たちの協力のもと、音楽、パッケージとも独特の魅力をもつCDを発表してきた。演奏者でありプロデューサーであるつのだたかしに、さまざまな出会いに支えられた30年の歴史を聞いた。

2020.8月「小さな声で」動画より抜粋構成:角田圭子(ダウランド アンド カンパニイ)

■ リュートは音が小さいところが好きなんです

・・・・・リュートのどんなところが好きですか?

つのだ「よく人にそうきかれるんですが、音の小さいところですかね。
不思議に思われるかもしれませんが、ほんとにそうなんです。音の小さいところが好き。
音が生まれて消えていく、その間(あいだ)、しんとした、すんとした間。そんなところが好きですね。
趣味でいろいろ集めている器とか、そういうものでも、置いてある周りに静けさがあって、そのものがそこにあるのに、あるから、周りが静かになる、みたいな。
まあ、リュートが鳴って消えていく、音の姿がよく見えている、そんな演奏を目指したいなあといつも思っています。

 

(1)パルドンレーベル立ち上げまで

■ 静岡のギャラリーをめぐる出会い

・・・・・ケルン音楽大学を卒業してドイツから日本に戻ったのが1976年ですね

つのだ:30歳で帰ってきて、これからどうやって生きて行こうかなあ、と思いました。誰もまだリュートのことなんか知らない時代でしたから。親の家に戻って細くなったスネをかじらせてもらいながらいろいろ模索していたんですが、レコードを作るのがいいんじゃないかな、と思いついたんです。でもそれこそ何も知らない、業界も、紹介してくれる人もいない、という状態。その頃、どこの会社かもう忘れましたが、レコード会社を訪ねてクラシックの担当の方とお話ししたことがありました。「リュートのCDを作ってもらえませんか?」とお願いしてみましたが「リュートといってもそんなに知られてないし、なかなかハイと言ってくれるところもないんじゃないですか?」とやんわり断られました。で、難しいもんなんだなあ、と思ってしばらく考えないようにしていました。

・・・・・まだレコードといえば、大手のレコード会社に作ってもらう時代でした

つのだ:しばらくしてコンサートで静岡に呼んでもらいました。大久保さんご夫妻が主宰されるギャルリ・ヴォワイヤンというギャラリーでのコンサートで、そのギャラリーに出入りしていた若い、まだそんなに有名ではなかったアーティストたちと知り合いました。たとえば、染めの望月通陽さん、木口木版の柄澤齋さん、詩人の時里二郎さんとか、そういった人たちがコンサートを聴きに来てくれていたんですね。いろんなアーティストの友達がいっぺんにできちゃった、という晩でした。

・・・・・望月通陽さんとの出会いですね

つのだ:演奏しながら後ろをふっと見ると、素敵な額が飾られていました。それはよくよく見るとバッハのリュート組曲3番のプレリュードの楽譜だったんです。まったくオリジナルの楽譜に見えるんだけど、でもオリジナルがここにあるわけはないし、と思ってまたよくよく見ると、望月さんがオリジナルの楽譜をもとに麻の布に型染めで染めたものだったんです。
それで「これはすばらしいものですね」とコンサートの中で口走ってしまったら、作者の望月さんが客席から「さしあげます」って声をかけてくれたんです。
今でも忘れないですね。それから望月さんのこの染め絵は、うちの中の一番いい場所にずっと飾ってあるわけです。

photo:セブン・ティアーズ

・・・・・なんとすてきな出会い!

つのだ:そのコンサートの打ち上げで、詩人の時里さんが僕にきれいな詩集をプレゼントしてくれました。その本は素敵なケースに入っていて、本文のレイアウトも詩人まかせで、本当にうつくしいものが言葉としてその箱に収められて、大切にされている思いが伝わる詩集で、材質もとてもいいものだったんです。
そのときにふと思ったのが先ほどのレコード会社のことで、先方に興味がないなら自分でやればいいんじゃないか、と。自分でこの詩集みたいに美しい装幀で、中には美しい音楽をいれて、ブックレットもいろいろなことができそうだし。
ということで、先ほどの望月さんに、CDを作ってみたい、箱に入ってるのがいいかな、その中にいろんなきれいな絵が入っていて、、、みたいなことを楽しみながら話しました。

・・・・・このコンサートでの出会いがパルドンレーベルのアイディアに直接つながっていったんですね

つのだしばらくして、そのころ何かと頼りにしていた音楽評論の佐々木節夫さんに、自費出版でいいのでこういう良い形のCDを作りたい、と話したんですね。そしたら「そんなこと、やめなさい」と言われたんです。よく覚えてますけど「それはすごくお金持ちの、歌の下手な人がやったりするようなことですよ、もうちょっと我慢してたらレコード会社の方から何かいってきますよ」と言ってくれたんです。

・・・・・当時はまだ「自費出版」というのはそういう感覚だったんですね

つのだはい。でもそういうことではなくて、と、先ほどの詩集を佐々木さんに見せたら「なるほど、それならやりましょう」とディレクションの大役を買って出てくださったんです。そしてお友達の峰尾昌男さんが録音を手がけてくださることになりました。

パルドン。いろんな人にお世話になってばかりで、すみません、よろしくお願いします、という気持ちがとても強かったので、このレーベルはパルドンということにしようと決めました。今考えればそんな名前でよかったのかな、と思うのですが、ちょっとした遊び心でした。

ということでパルドンレーベルが出発しました。

■ 東京・小平のギャラリーをめぐる出会い

・・・・・CDの録音、ディレクション、そしてジャケットアートを引き受けてくださる方が決まり、あとはそれをまとめるデザイナーですね

つのだ:小平市に鷹の台という西武線の駅があるんですが、駅前に松明堂という本屋さんがありました。その松明堂を時々手伝っていた竹村英明さんという方からある日電話があり、本屋の地下のホールでコンサートをしてほしい、ということだったんです。家が近くだったので見に行ったら、80人ぐらい入るんでしたかねえ、良いスペースですっかり気に入ってしまって、気にいられてしまって、きっとどっかで一杯、酒をごちそうになってますます気に入っちゃって、そういう中から竹村さんとの関係が生まれたんです。
以来、うちで制作した数々のCDやコンサートのちらしはほとんど竹村さんがデザインをしてくれました。

初期の箱入りCD

・・・・・竹村さんは大手の出版社にお勤めで、デザインの仕事をする時は「小泉文治」名義でした。パルドンのアートディレクターとして長年、支えてくださいました

つのだ:竹村さんは静岡の望月さんの作品に惚れ込んでいて、もう、自分は何もすることはないんだ、と言ってました。普通デザイナーは自分の腕をふるいたがるものですが、彼は、何もしないで、一番自然に、一番良い形になるように段取りをするだけだ、といつも言っていました。それについてもまったく彼におまかせ、という感じで、それが一番よかった。そうやってずっと一緒に仕事をしてきました。ご縁で、ありがたいなあ。すみませんねえ、パルドン。ということなんです、これまた。

 

(2)パルドンレーベルの仲間たち

■ 録音したい時、したい人といつでも録音できる態勢を作ってくれたスタッフに感謝

・・・・・ということで、1989年に最初のソロCD「リュート つのだたかし」をリリース。その後、牧野正人さん、波多野睦美さん、エヴリン・タブさん、ロベルタ・マメリさんなど、たくさんの歌手の方と録音することになりました。

つのだ:演奏家というのはやはり自分の波に乗っているときに録音すべきだと思います。
もちろん音楽を一緒に演奏する相手には、おかげさまでたくさん勉強させてもらい、ありがたいことだなあ、と思いますが、なんといっても「この歌い手とこの曲を録音しておきたい」と思った時にすぐに行動に移せる態勢がいつもあったわけです、私の場合。詩人、アーティスト、ディレクター、エンジニア、デザイナーとの出会いの中で助けられて仕事ができてきました。
「友情スタッフ」と、勝手に決めているわけですが、それはほんとにありがたいことでした。

・・・・・ここからは、それぞれのCDのことについてお話を伺います

CD「リュート つのだたかし」より 染め:望月通陽

つのだ:最初のCDは私のソロのCD。中のブックレットがすばらしいできで、それぞれの曲にあわせて望月さんが毎ページ毎ページ、染めてくれたんです。
初めての録音には苦労しました。当時はまだデジタルではなく、テープで録音していて、テープがぐるぐると回っているわけです。私はとても緊張するたちなので、なかなかこれがうまく弾けない。もうとても恥ずかしい思いをして、もう2度とCDなんか作るまいと誓う。誓ったのに、こうして美しいCDができ上がると、けろりとして次はどうしようかな、と思っちゃって、今も続いています。困った根性ですね。

■ 共演してくれた歌手について

・・・・・次がバリトンの牧野正人さん

望月通陽さんの作品の前で演奏する牧野正人さん(1990頃)

つのだ:ちょうどその頃、国立音楽大学の音楽研究所というところで、初期のオペラなどを演奏しようじゃないかということで、当時の国立の講師の先生や学生さんたちが集まりました。私は国立の講師でも学生でもなかったのですが「外タレ」ということで、大きなリュートを持って、毎週練習に通いました。ま、その頃はろくに弾けなかったんですけど、モンテヴェルディの「オルフェーオ」のタイトルロールを歌っていたバリトンの牧野さんがなんだか知らないけど褒めてくれて、何か一緒にできるといいですね、という話になりまして、あちこちで小さなコンサートを重ねました。
どうも私は演奏家というよりプロデューサーが向いているのかな、人運がいいんですね。牧野さんとはたくさんのコンサート、セミナーなんかもやりまして、その頃に作ったのが彼のお箱であるモンテヴェルディの「オルフェーオ」の中の曲、カッチーニの曲などを入れたCD「オルフェーオの悲しみ」です。これが2枚目です。

・・・・・そしてパルドンレーベル以外でも多くのCDで共演した波多野睦美さん

CD「サリー・ガーデン」盤面にも意匠が凝らされている

つのだ:その頃、エマ・カークビーさんの声楽セミナーがあり、リュートのアシスタントとして参加しました。セミナーはいろんな人の力量が試されるところですが、そこで出会って、特別な力量のある人だな、と思ったのが3枚目のCDを一緒に作ったメゾソプラノの波多野睦美さん。それから長い付き合いになりました。
最初のCDはもちろんダウランドのリュート歌曲集で「悲しみよとどまれ」、そのあと、イギリスのフォークソングを集めた「サリー・ガーデン」。これはとても聴きやすくてベストセラーになりました。それから「古歌」「オフィーリアの歌」、2枚目のダウランド歌曲集「優しい森よ」など。

・・・・・波多野睦美さんとのトリオのCDに参加してくれたエヴリン・タブさん

トリオでのコンサート終了後(2005)

つのだ:イギリスのコンソート・オブ・ミュ―ジックというヴォーカルアンサンブルのソプラノだったエヴリン・タブさんと、波多野さんと私とが演奏している「涙の形」というタイトルのCD。コペラリオの二重唱の歌曲集などを入れました。これはその年の「レコード芸術」のレコードアカデミー賞をいただきました。

■ 手に入った楽器が共演者、作品を呼ぶ、それが古楽器演奏の面白いところ

つのだ19世紀の初め頃、ちょうどシューベルトの時代ですが、ヨハン・ゲオルク・シュタウファーという楽器制作家がいました。シューベルトの遺品の中にも彼の楽器があるくらいポピュラーだったようです。そのシュタウファーが作ったギターが、人の手から手へ、海と時代をわたってある日、私のところにやって来ました。この楽器のためにCDを作りたい、ということで、シューベルトを中心とした歌曲のCDを波多野さんと作りました。「夜の歌」というCDです。

このCDのカバーがまたすてきなんですよね~ 望月さんがイタリアのチェルタルドでおこなった展覧会の写真が使われてます。これはほんとに手にとって見てほしいなあと思います。

CD「夜の歌」

・・・・・そしてロベルタ・マメリさんとの出会いが

つのだ:その次の相棒はイタリアのラ・ヴェネシアーナというヴォーカルアンサンブルで歌っていたソプラノ、ロベルタ・マメリさん。彼女の歌を初めてコンサートで聴いた時、ガツンとやられました。これもまたご縁がありました。当時、毎夏、山梨の都留で音楽祭とセミナーが行われていたんですが、その翌年の声楽講師が予定が変わって来られなくなってしまい、困っている時に、ちょうど彼女の歌を聞いたんです。私の心は即決しました。ディレクターの有村祐輔さんとラ・ヴェネシアーナと一緒に食事に行ったのですが、このタイミングを逃さないように彼女に頼んだらどうでしょう、今すぐ、ここでスケジュールをきいて、としつこく有村さんに迫ったのです。そしたらちょうど、運命の神が微笑んだんですね、彼女は都留音楽祭に来ることになりました。

・・・・・押してみるものですね

CD「アリアンナの嘆き」を録音したホールにて(2008)

つのだ:そんなわけで都留音楽祭にやってきたロベルタと一緒にコンサートをして、次の年には録音もすることになりました。波多野さんとのモンテヴェルディの二重唱が入った1枚目と、ロベルタのソロだけの2枚目、と2枚ができました。幸せなことです。今ではヨーロッパで引っ張りだこのソプラノになってしまい、私は陰ながら応援しています。

・・・・・都留音楽祭や修善寺の声楽セミナーで出会った若手歌手もありました

冨山みずえさんとのコンサート(2013)

つのだ:都留のセミナーで出会った次の才能。冨山みずえさん。これまたびっくりしました。彼女の演奏を聞いて「あ、みっけ!」と思い、一緒にイギリスの歌のCDを作りました。すばらしい若手です。

鈴木美紀子さんとの録音風景(2011)

そしてもうひと方、鈴木美紀子さん。彼女はベルギーに留学したフランスの歌のスペシャリスト。フランスのルネサンス、バロックにはリュートソングがたくさんあり、彼女とはしぶいのから可愛いのまでフランス語の歌を録音しました。そのあともう一枚、オーヴェルニュ地方の歌などのCDも作っています。

■ 二つの顔をもつ男

・・・・・そして忘れてはならないのがタブラトゥーラ

つのだ私の活動のもう一つの大きな核は、タブラトゥーラというバンドを作ったということかな。作ったというと責任者っぽいですが、参加してくれたすばらしい名手たちの後ろでペンペンと弾いたり、つまらんことを司会のようにしゃべったりしています。もう30年以上になりました。

このバンドは、古楽器バンドというんですが、あまりオーセンティックではなく軽めの立ち位置で、自分たちの作ったオリジナルの曲を演奏するというグループなんですね。なんか楽しく歌ったり踊ったりする昔の放浪芸人や吟遊詩人のようなイメージのことをしたいと思いました。

普段静かにリュートをひいているのも好きですが、こういうハメをはずしたものも大好きで、みんなの力を借りて、長い間やらしてもらってきたんです。

タブラトゥーラのライブ(2011)

・・・・・リュートソングの静かさとタブラトゥーラのにぎやかさ楽しさ、両面があるんですね

つのだ:こういうきらびやかな音楽や楽しい音楽、どんちゃん宴会するのも好きですが、よく考えれば、飲むのもひとりでじっくり、ふたりでじっくり、4人ぐらいまででこそこそ飲むのも好きなんです。
池内 紀さんの著書に「二列目の人生」という、とても好きな本があります。2列目というのは1列目ではない。私も1列目にすわるより2列目が好き。だから人の伴奏が好きなのかな。どうも母親のスカートの後ろに隠れて見ているタイプ、というのかな。
なんか静かな目立たぬものが好きなんでしょうかね。
ま、一言では言えないんです。そんな感じもあるのかな、って思ってもらえれば幸いです。

つのだたかし(リュート)
ドイツの国立ケルン音楽大学リュート科で学び、1976年に帰国後は日本の古楽草創期を支えて活動。特に歌とのアンサンブルに力を注ぎ、シェイクスピアの時代のイギリスのリュートソング、最初期のイタリアオペラ作品であるモンテヴェルディの「オルフェーオ」など、さまざまな公演を企画。エマ・カークビー、エヴリン・タブ、波多野睦美、ロベルタ・マメリ、牧野正人他、内外の名歌手から深い信望を受け、古楽を中心に国内外で数多くのコンサートを行う。また、ジャンルを超えた楽しい古楽器バンド《タブラトゥーラ》主宰、シェイクスピア舞台音楽、映画音楽も手がけ、リュート音楽のさまざまな楽しみ方を発信している。CDでは古楽レーベル『パルドン』をプロデュースして声楽作品を中心に多数発表し「レコード芸術」特選盤、大賞を受賞。